1. 三年続いた5%——「一度きり」ではない、ということ

給料が上がったというニュースは、たいてい一年で消えます。景気の良かった年の話、業績の良かった会社の話として片づけられてしまうからです。

ところが、今年は少し様子が違います。連合が7月3日に公表した2026年春季生活闘争の最終集計では、定期昇給相当分を含む賃上げ率が5.01%となりました。2024年の5.10%、2025年の5.25%に続いて、3年連続の5%台です。3年連続で5%を上回るのは1991年以来35年ぶりとされます。

一年なら出来事、三年続けば制度になる。

企業の側から見ると、この差は決定的です。来年も同じくらいの人件費が乗ってくる前提で、値付けも、採用計画も、設備の入れ替えも組み直さなければならないからです。

そこで、この記事が読者に渡したい問いは一つです。賃金が上がることは、株主にとって良い知らせなのか、悪い知らせなのか。答えは「どちらにもなる」であり、そのどちらになるかを見分ける手順が、これから説明する内容になります。

2. まず数字を正しく持つ ——「5%」は誰の、何の数字か

最初にやるべきは、数字の主語をはっきりさせることです。

連合の最終集計は、5,368組合の加重平均で1万6,400円、率にして5.01%でした。ただし、春先に大きく報じられた数字は違います。3月23日に発表された第1回集計は、1,100組合・142万7,068人分で5.26%でした。集計が進み、後から妥結する中小の組合が加わるにつれて、水準は下がっていきます。春に見た数字と、夏に残る数字は別物なのです。

次に、5.01%の中身です。この率には「定期昇給」——同じ会社に一年いれば年齢や勤続に応じて上がる分——が含まれています。賃金表そのものを底上げする「ベースアップ(ベア)」の分は3.50%でした。定昇は一般に2%程度といわれますから、物価に勝てるかどうかを見るときに効いてくるのはベアの方です。

規模の差も見ておきます。1000人以上の組合が5.06%だったのに対し、300人未満は4.69%、99人以下は4.26%でした。1000人以上と99人以下の開きは率にして0.8ポイントで、前年の1.03ポイントからは縮んでいます。縮んではいるが、まだ開いている、という状態です。

さらに、集計する主体が変わると数字も変わります。経団連の第1回集計では中小企業の賃上げ率は4.20%、別の調査では正社員全体で4.01%、従業員20人以下の小規模企業では3.38%という水準でした。前年も、連合ベースの5.25%に対し、厚生労働省調べの民間主要企業は5.52%でした。

そして最大の注意点は、これらがすべて「労働組合のある職場」あるいは「調査に答えた企業」の数字だということです。組合のない会社で働く人、非正規で働く人は、この集計にそのままは乗りません。参考までに、有期・短時間・契約等で働く人の時給引き上げ率は最終集計で概算6.18%と、一般組合員を上回っています。

では、実際に統計に出てくる数字はどうか。厚生労働省の毎月勤労統計(2026年4月分確報)では、働く人一人あたりの現金給与総額は前年同月比3.6%増の31万2,699円でした。春闘の5%台とは、はっきり開きがあります。

同じ数字でも、誰を数え、いつ数えたかで別の数字なのだ。

最後に、この記事でいちばん大事な指標を置きます。実質賃金です。名目の賃金から物価の上昇分を差し引いた、いわば「買えるものの量」で測った給料のことです。ここがプラスかマイナスかで、話の意味が180度変わります。

2026年に入ってから、この符号が変わりました。1月に前年同月比プラスへ転じ、1月+0.7%、2月+2.0%、3月+1.4%、4月+2.0%と続き、5月分速報でも1.4%増で5か月連続のプラスとなっています。長く物価に負け続けていた賃金が、ようやく追い越した形です。

ただし、この「+2%」は割り引いて読む必要があるという指摘があります。毎月勤労統計は調査対象の入れ替えで数字が振れやすく、日銀を含む多くのエコノミストは、前年と当月の両方に回答した同じ事業所だけを比べる「共通事業所ベース」を見ています。4月の共通事業所ベースの現金給与総額は前年同月比2.9%増でした。名目の所定内給与で見ると、本系列が3%台後半まで振れる一方、共通事業所ベースは2%台半ばにとどまり、1ポイント前後の差があるとされます。全数調査である健康保険の標準報酬月額から見ても、基本給の基調的な伸びは2%台半ば程度とみられています。

加えて、近年の賃金上昇は平均値が中央値を上回る傾向があり、特に20〜40代では真ん中あたりの層の伸びが相対的に弱い、とも指摘されています。「平均が上がった」と「多数派の実感が上がった」は、同じではありません。

3. なぜ今回は続いているのか —— 人手不足という「戻らない条件」

人手不足倒産の件数、前年から2025年へ。前年 342件、2025年 427件。85件の増加

賃上げが三年続いた理由は、大きく二つに分けて考えると整理できます。

一つは循環的な理由、つまり物価が上がったから賃金も上げざるを得なかった、という追いかけっこです。もう一つは構造的な理由、つまり働き手そのものが足りない、という事情です。エコノミストの整理でも、高い賃上げ要求の背景として、深刻化する人手不足、歴史的な物価高の継続と実質賃金減少への対応、高水準の企業収益、の三つが挙げられています。

この二つのどちらが主なのかで、賃上げの持続性の見方は変わります。物価だけが理由なら、物価が落ち着けば賃上げも止まります。人手不足が理由なら、そう簡単には止まりません。

そこで人手不足の側を見ます。帝国データバンクの調査では、正社員の人手不足を感じている企業の割合は2026年4月時点で50.6%と、4年連続で半数を超えました。非正社員では28.3%です。情報サービスや運輸・倉庫など7業種では、正社員不足が6割以上に達しています。「労働者過不足判断D.I.」——不足と答えた事業所の割合から過剰と答えた割合を引いた値——も、2026年5月時点で正社員等がプラス47ポイント、パートタイム労働者がプラス27ポイントと、不足超過が続いています。

ここで、一見矛盾する数字を並べておきます。求人の側は、むしろ緩んでいるのです。有効求人倍率——求職者一人あたり何人分の求人があるかを示す指標——は2026年4月で1.18倍と、2021年11月の1.17倍以来の低い水準圏にあります。正社員の有効求人倍率は0.99倍が9か月続き、新規求人は前年比マイナス3.6%。完全失業率も3月時点で2.7%と、前月より0.1ポイント上がっています。

求人が減っているのに、不足感が消えません。これは需要が増えて足りないのではなく、供給が減って足りない、という状態を示しています。

その帰結が、倒産の統計に出ています。人手不足倒産は2025年に427件発生し、前年の342件から24.9%増えて、年間として初めて400件を超えました。3年連続の過去最多です。業種別では建設業が113件、物流業が52件。そして全体の77.0%にあたる329件が、従業員10人未満の小規模企業でした。2026年上半期も227件と、上半期として過去最多を更新しています。

人が採れないから会社が消える、という現実の前では、賃上げは「余裕があるからする」ものではなく「しないと続かない」ものになります。帝国データバンクは、この流れに追随できない小規模企業を中心とした「賃上げ難型」の倒産を懸念しています。

賃上げを押しているのは、景気の勢いだけではない。人口の側から効いている圧力なのだ。

だからこそ、景気が多少減速しても賃上げ圧力は簡単には消えにくいでしょう。ただし、それは「全社が上げられる」という意味ではありません。上げられない会社が退場する形で、平均の賃上げ率が保たれる場合もあります。

4. 賃金が株価に届く四つの経路

賃金がもたらす4つの波及ルート。賃金から分かれる4つの経路。コスト、価格転嫁力、消費、金融政策

賃金の話が株価に届くまでには、性質の違う四つの通り道があります。順に見ていきます。

一つめは、コストです。人件費は、一度上げると下げにくい費用です。売上が落ちたからといって賃金表を戻すことは実際にはできません。経済学ではこれを「上方硬直性」と呼びますが、要するに、上がったら戻らない階段のようなものです。だから人件費は、変動費というより固定費に近い重さで効いてきます。

その重さは業種によって違います。毎月勤労統計の産業別で見ると、2026年4月の現金給与総額は運輸業・郵便業が前年同月比7.7%増、金融業・保険業が8.0%増と大きく伸びた一方、飲食サービス業等と生活関連サービス等はいずれも0.8%増にとどまりました。賃金の上がり方そのものに、産業間の格差が出ています。

二つめは、価格転嫁力です。ここが銘柄を見分ける核心になります。転嫁とは、上がったコストを販売価格に乗せることです。

帝国データバンクの調査では、価格転嫁率は44.9%と前回から4.3ポイント上がり、過去最高になりました。8割近い企業が多少なりとも転嫁できています。それでも、企業が自分で負担している割合は5割を超えたままです。中小企業庁の調査でも、コスト全体の価格転嫁率は53.5%、労務費の転嫁率ははじめて5割に到達しましたが、原材料費より約5ポイント低い水準にとどまります。「転嫁できなかった」「マイナスとなった」企業も16.8%あります。

さらに、取引の階層が深くなるほど転嫁は難しくなります。コスト増加分を全額転嫁できた企業は27.3%。1次請けの転嫁率は5割を超えるのに対し、4次請け以上では4割程度で、全額転嫁できた企業は1.5割程度、まったく転嫁できなかった、または減額された企業は3割近くに上ります。

業種差はもっと露骨です。化学品卸売の65.0%、鉄鋼・非鉄・鉱業製品卸売の63.0%に対し、医療・福祉・保健衛生は19.8%、娯楽サービスは21.7%、金融は25.8%、農・林・水産は27.3%。価格が公定されていたり、入札で決まったりする分野ほど、転嫁の通り道が細くなっています。

連合自身も、中小の賃上げについて「同じ産業でも価格転嫁ができているか否かで差が出ている」と指摘しています。つまり、同じ5%の賃上げが、通せる会社では値上げの理由になり、通せない会社では利益の削り代になります。同じ材料が、真逆の結果を出すのです。

もう一つ、見落とせない数字があります。2026年版中小企業白書によれば、中小企業では業績の改善をきっかけとしない賃上げを行う企業の割合が4割を超え、賃上げを実施した企業のうちの過半数を占めています。人を引き止めるための「守りの賃上げ」が、それだけ広がっているということです。

三つめは、消費です。賃金が物価を上回って、はじめて内需が動く——という説明はよく聞きます。ただし、実際にはそこに一段ワンクッションあります。

2026年4月の家計調査では、勤労者世帯の実収入は物価の影響を除いて前年同月比2.3%の増加、勤め先収入も実質2.1%の増加でした。ところが、消費支出は実質1.1%の減少です。収入は増えたのに、支出は減っています。日銀の地域経済報告でも、イベント関連などの特別な消費は堅調な一方、日常の消費では食料品価格の高止まりを受けた節約志向が根強く、スーパーで購入点数の減少が続き、一部の外食では日常利用の客が減っている、と報告されています。

心理の側も、まだ半信半疑です。消費者態度指数は2026年2月時点で37.9と前月から0.7ポイント改善しましたが、内閣府の消費動向調査(2026年1月)では、1年後の物価について「5%以上上昇する」と答えた人が4割以上で最多でした。政府の見通しでは2026年度の実質賃金上昇率は1%程度のプラス、実質成長率は1.3%程度とされていますが、実感が追いつくかどうかは食料品価格の落ち着き具合次第、という状況です。

実質賃金のプラスは、内需が動くための必要条件であって、十分条件ではありません。

四つめは、金融政策です。ここが、賃金の話が金利と為替に化ける場所になります。

日銀は「賃金と物価の好循環」を利上げ判断の柱に据えてきました。植田総裁は2024年5月の講演でも、賃上げ率5%超・ベア3%台半ばという水準を1991年以来の高さとして挙げ、企業の賃金設定行動が変わったと述べています。三年続いた5%台は、その柱を補強する材料になります。

足元の判断は割れています。2026年4月30日の金融政策決定会合では政策金利0.75%の据え置きが6対3で決まり、高田創・田村直樹・中川順子の3委員が1.0%への引き上げを求めて反対しました。9人のうち3人が即時利上げを主張した、という票の割れ方そのものが情報です。

物価の見通しはこうです。生鮮食品を除く消費者物価の前年比は、政府のエネルギー負担緩和策の効果などから足元は1%台後半にとどまるものの、2026年度は2%台後半、2027年度は2%台前半、2028年度は2%程度になると予想されています。市場では、この利上げサイクルの着地点を2.0%程度と見る向きがあり、そこに到達するには年2回のペースで約3年を要する計算になります。

金利が上がると、株価には二方向で効きます。一つは業績への影響、もう一つは評価倍率です。将来の利益を今の価値に直すときの割り算の分母——割引率——が上がるため、遠い将来の成長を織り込んで買われてきた銘柄ほど、同じ利益でも評価が下がりやすくなります。

そして、利上げは賃上げの土台を削る側面も持ちます。試算では、支払金利が1%上昇した場合、資本金1000万円未満の企業では営業利益への押し下げが11.4ポイント、経常利益への押し下げが6.2ポイントに達し、増益で吸収できない可能性があるとされます。企業部門全体では、営業利益が10%変動すると名目賃金が0.5ポイント強変動する関係も観測されています。利上げが体力を削れば、賃上げ余力が減り、好循環の前提が揺らぎます。日銀が慎重にならざるを得ない理由が、ここにあります。

為替への波及も、教科書どおりには進んでいません。かつては日米の金利差で説明されてきた円安ドル高ですが、2025年秋以降は両者の関係が薄れ、金利差が縮む中でも円安が進んできたと指摘されています。日本の長期金利について、2025年9月末から2026年6月末までの上昇幅(1%ポイント程度)を分解すると、市場が予想する今後10年間の政策金利の平均——期待政策金利——が0.7%ポイント程度、国債需給や財政懸念を映す「タームプレミアム」が0.3%ポイント程度と試算されています。それでも円高には振れにくく、米金利の先高観が強いうちは円安ドル高が進みやすい、日銀が利上げを続けても当面は円高基調に反転しにくい可能性がある、という見方が出ています。

しかも、円安の効き目自体が昔と違います。10%の円安ドル高が直近1年間の実質GDPに与えた影響は、マイナス0.14%程度と試算されています。価格転嫁が進みやすくなったことや、輸出の下押し要因が重なったことが、円安のプラス効果を打ち消しているとみられます。

賃上げは、株価にとって単一の材料ではない。四つの経路の合成なのだ。

5. 投資家が実際に見るべき指標と、その確認の順番

投資家が確認すべき5つの手順。1 春闘、2 毎月勤労統計、3 企業の決算、4 値上げの浸透確認、5 日銀

四つの経路は、同時には見えてきません。時間差があります。だから、先に動く数字から順に並べておくと、追いやすくなります。

第一に、春から夏の春闘です。連合の第1回集計(3月)から最終集計(7月)までを、同じ物差しで並べます。今年は5.26%から5.01%へ着地しました。見るべきは全体の率だけでなく、ベア分(今年は3.50%)と規模別の内訳です。中小の率が全体に近づいているか離れているかで、賃上げが裾野まで届いているかが分かります。

第二に、毎月の毎月勤労統計です。速報と確報の二度、数字が出ます。ここでは実質賃金の符号を見ますが、本系列だけを見ないことが肝心です。共通事業所ベースを並べ、公表資料の注記も確認します。たとえば2026年1月の標本の部分入れ替えでは、現金給与総額に1,582円(マイナス0.5%)の断層が生じたことが注記されています。段差を知らずに前年比だけを追うと、方向を読み違えます。

第三に、企業の決算です。ここで見るのは三つ。販売費及び一般管理費に占める人件費の重さ、売上総利益率(粗利率)の推移、そして有価証券報告書に載る従業員数と平均年間給与です。従業員数が横ばいで平均給与だけが伸びているなら、人件費の増加は賃上げによるもの。従業員数も増えているなら、事業拡大と賃上げが混ざっています。

第四に、値上げが通っているかどうかの確認です。売上高の伸びを、単価の要因と数量の要因に分けて考えます。数量が落ちていないのに売上が伸びていれば、値上げが受け入れられています。数量が減って売上が横ばいなら、値上げで客が離れている可能性があります。決算説明資料には、価格改定の効果と数量の効果を分けて示す会社もあり、そこが読みどころになります。

第五に、日銀です。展望レポートの物価見通しと、決定会合の票の割れ方、そして総裁会見の言い回しの変化を追います。「賃金と物価の好循環」への言及の温度が変われば、金利と為替の前提が変わります。

先に動く数字から、順に見ること。

6. よくある誤読

三つだけ挙げます。どれも、耳あたりのよい一行に要約されているぶん、危ないものです。

一つめは、「賃上げだから内需株は買い」という短絡です。実際には、実質賃金がプラスに転じた後でも、勤労者世帯の消費支出が実質で減った月があります。収入の改善が支出に回るまでには時間がかかり、食料品価格が高止まりしていれば節約志向は残ります。賃金と消費の間には、必ず遅れと目減りが挟まります。

二つめは、「人件費が増えるから減益」という短絡です。価格転嫁率44.9%という数字は平均であって、通せている会社と通せていない会社の混合です。転嫁が進んでいる企業では、賃上げは値上げの正当な理由になり、増益と両立します。同じ産業の中でさえ差が出る、というのが調査から読み取れる姿です。

三つめは、賃上げ率の高さを、そのまま株主にとっての良さと読み替えることです。中小企業では、業績の改善をきっかけとしない賃上げが4割を超えています。人材を引き止めるための守りの賃上げは、率が高いほど余力を削っている場合があります。賃上げ率の高さと、株主還元の厚さは、別の話です。

7. まとめ —— 三年続いた事実の扱い方

三年続いた5%台は、単に「今年も高かった」という話ではありません。企業は来年も同じ人件費が乗る前提で値付けを始め、日銀は好循環の確認材料として扱い、家計は「毎年上がる」という前提で消費を考え始めます。前提が書き換わることが、一度きりの数字との決定的な違いです。

では、私たちは次に何を確認すればよいのか。三つに絞れます。

  • 実質賃金の符号が、共通事業所ベースでもプラスを保てているか
  • 保有する、あるいは検討する企業の決算で、粗利率が人件費の増加に耐えているか
  • 日銀の言い回しと票の割れ方が、どちら向きに動いたか

この三つは、どれも公開されている資料で誰でも追えます。特別な情報源は要りません。順番を守って並べれば、賃金というミクロな話が、金利と為替を経て株価に届くまでの道筋が、自分の目で追えるようになります。

注目すべきは、5%という高さではない。三度続いた、という事実。


本記事は公開情報をもとにした解説であり、特定の金融商品の売買を推奨するものではありません。投資判断はご自身の責任で行ってください。